笛のおっちゃんのブログ

落書き帳に近い面もありますが、半世紀以上にわたり一応我家のメシのタネになってきた様々な笛の話、下手っぴなデジカメ写真などなどをランダムにアップしています。

津山城

4月20日
 予感+、今回のツアーは九州シリーズから下関まで、サクラの時期にはちょっと遅すぎて、いずれも終わってしまったか、辛うじて残っている花もあるかな、と云う感じだった。 津山は標高が高そうだからどうかな、と云う期待は有って、岡山から津山に至る車移動の途中では、山の中で咲いている桜は結構見かける事が出来たが、種類はいわゆるソメイヨシノではなさそうだった。
 津山でも、やはりもう終わってしまっていたが、コンサート会場である津山文化センターの構内や周辺に植えられた枝垂れ桜はまさに満開で、見事なものだった。
 これは会場に上っていく道路沿いの枝垂れ桜。 右に見えているのが津山城の石垣だ。
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 八分咲きくらいを満開と云うそうだが、まさにそう云う状態ではなかろうか。
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 右の石垣の上が文化センター、この左は道路になるが、その中間の地帯に延々と植えられている。
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 これは会場を出たところだが、道路の向こうはたしか堀に成っていたはず。
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 例によって花のアップ。
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 まだこんな蕾も結構残っていた。
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 方角などはよく分からないが、会場から枝垂れ桜越しにのぞむ津山市内、と云うところか。
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 会場から少し下ったあたりから眺める津山城。
 石垣だけでも立派なものだが、昔はこの上に大小様々の櫓や天守が聳え立っていたのだから、大変な偉容を誇っていただろうと思われる。
 下に見えている池みたいなのは、堀で、薬研堀だったか、厩堀(うまやぼり?)だったかのどちらかだ。
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 ホールの楽屋口のすぐ横が城の裏口に成っている。 裏口は回転式の機械があるだけの無人で、出る人しか通れない仕掛けに成っている。
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 先ほどちらっと見えていた堀のところを通って、右方向に行く。 表の入り口まで、ちょっとした距離を歩く事になる。 コンサートの記事に書いたが、「中田@山陰さだ研」さんにお会いしたのはこの時だ。
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 森忠政公、と云う文字が見えるだろうか。 初めて聞く名前だと思ったが、津山城を建てたこの人物、信長の小姓で、本能寺で討ち死にした、あの森蘭丸の弟に当たるのだそうだ。
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 他所の城に比べて、この階段、通路はかなり広いと思われる。 撮ったときには気がつかなかったが、上に見えているのは藤棚で、その左側に備中櫓が有るはずだ。
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 それぞれの区画の上には櫓や門など、建っていたのだろうが、こうして石垣を見てイメージを膨らませるのも悪くはない。
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 城の上から見たコンサート会場・津山文化センター。
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 やはり八重桜は時期が遅いので、ちょうど見頃と云うところか。
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 その八重桜のアップ。
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 2004年に再建された備中櫓。 何故「備中櫓」なのか、と云う疑問は当然生じるが、森忠政の娘が嫁いでいた池田長幸が備中の守だったことから付けられた名前らしい。
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 その備中櫓のすぐ横に有る藤棚、随分立派なものだが、この時は全く咲いていなかった。
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 入り口で買った入場券で入れるとの事で、備中櫓に上がってみた。 これは櫓から見た風景、かなり急な石垣であることが分かる。
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 櫓から見た藤棚。 花が咲けば見事なのだろう。
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 これは櫓の内部。 備中櫓は普通の櫓に比べると、かなり居住性が高かったようで、全室畳敷きに成っている。
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 「立ち入らないでください」と有るが、これはどう見ても厠のようだ。
当然ながら水洗式に成っているわけは無かったわけだから、こうして居室のすぐ横に有ると云うのは意外な気がする。
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 備中櫓からの風景。
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 櫓から見た本丸庭園。 サクラの時期だったら見事な風景だったのだろう。
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 同じく本丸庭園。 元々は広大な本丸御殿が有ったらしい。 
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 何故か釣り鐘が見えているが、ここは太鼓櫓跡、毎日十二刻を知らせる太鼓が打ち鳴らされていたらしい。 つまり二時間毎に、と云うことだろう。
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 道明寺櫓跡、多分自生しているのだと思われるが、菜の花は満開状態。 大阪の道明寺で作られた「道明寺干飯」なるものを保管していたのだとか。
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 津山城は一方に川(宮川)、後の三方にはしっかり堀が有ったようで、堅固な守りを固めていたらしい。 これもその一部か。
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 大体何処の城でもそうだが、概して石段は急な物が多く、上り下りともにあまり歩きやすくはない。
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 種類が違うのだろうか、こうしてまだ咲いている樹も有った。
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 帰りは裏口から出ればちょうど良いと思っていたのだが、なんと5時で閉まってしまうとの事。 仕方なくもと来た道を戻る羽目に成ってしまった。 もちろん開演時間の6時には楽勝で間に合ったが。

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  1. 2011/04/20(水) 23:59:58|
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小倉城など

4月18日
 今回のツアーはちょっと面白いスケジュールに成っていて、都城の後は車で鹿児島に移動して鹿児島で宿泊、小倉に2泊するが、小倉での公演は無い、など。
 で、開通したばかりの九州新幹線で朝鹿児島を出ると、昼頃には小倉に着く。 午後以降はフリーに成るので、散策に出かける。
 まずは小倉駅。 大昔に小倉のステーションホテルに泊まった事が有って、当然ながら駅の上にあるホテルだったのだが、現在の小倉駅、と云うか駅ビルと云ったほうがいいのだろうが、当時の建物とは全く別物だろう。 もちろんその頃は北九州市とかではなくて、小倉市だった。
 駅にもぐり込むようにして、モノレールが入っているが、当時モノレールなんてもちろん無かったし、たしか路面電車が走っていたような記憶が有る。 ちょっと分かり難いが、モノレールの車両が止まっているのが見えるだろうか。
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110418-小倉-02 まずは腹ごしらえと、ホテルで教えて貰ったラーメン屋の一つに入った。 ラーメンは意外とかなり薄味のあっさりしたものだった。
 たしか小倉城と云うのが有ったと思って、マスターに聞いたらすぐ近くだとの事。
 教えられた方角に歩くが、中々それらしきものが見えてこない。 後で分かったが、周りに高いビルが建ってしまって、元はこのあたりで一番高かったお城も、ビル群に埋もれてしまったためだ。

 途中に有った面白い格好のビル、NHKのロゴが見えるので、多分小倉放送局なのだろう。
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 これは元小倉県庁の一部だった、とか云う建物。 と云う事は小倉県と云うのが有ったのだろう。 維新以来色々あって、後には医院として使われていたとか(現在も?)。
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 紫川、そこそこの水量は有る。 手前の橋は「常盤橋」、木造で歩行者専用の橋だ。 向こうに見えているのは新幹線の陸橋。
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 小倉城の堀、ここでは水堀に成っているが、空堀に成っているところもあるらしい。
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 ちょっと分かり難いが、石垣の角の部分は熊本城で学習した「算木積み」を使っているようだ。
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 熊本ではすっかり終わっていたサクラが、ここではまだ少し残っていた。 気候の関係か種類が違うのか。
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 このちょっと中国風な建物はなんと燈台のレプリカだそうだ。 岩松助左右衛門と云う人が、関門海峡の難所・白州に私財を投じて燈台を作ろうとしたが、志半ばで没した。 事業は明治政府に引き継がれて完成したらしい。
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 城跡には軍関係の施設が置かれる事が多いようだが、ここもその例に漏れず、第十二師団の司令部が有ったらしい。 この門はその跡。
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 花の終わったサクラの木の枝にとまる小倉城のスズメ。
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 これが天守閣。 中には入らなかったが、様々な資料などが展示してあるそうだ。 この天守閣などは、水前寺公園でお馴染みに(?)なった、細川忠興が建てたものだとか。
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 こんなものも展示されていた。 左側に有るのは砲弾だ。
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 糠蔵、とあるので、これも再建された城の一部かと思ったらそうでもないようで、この日は閉まっていたが、漬け物ショップのようだ。 でも、、ここの殿様jはぬか漬けが事のほか好きで、家来や領内の住民にも勧めていたとの事だ。 枝垂れ桜は満開だった。
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 この木の株のようなのは近くの響灘から引き上げられた珪化木、4000万年前の木の化石だそうだ。
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 別アングルからの天守閣。
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 こちらは鯱、ちょっとかたちが変わっているような気がする。
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 大手門跡。 こうして残された石垣のみの風景のほうが、如何にも城らしい感じがして良いのかも。
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 城を出ると、道路を挟んで市議会庁舎や市役所などが有る。
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 先ほども渡った紫川に出る。
 左端に見えるのはリバーウオークと云われるビル群、右ののっぽビルは高層マンション・小倉タワー。 橋は太陽の橋と云うらしい。
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 川沿いに上流に向かって歩く事にする。 紫川沿いの遊歩道に咲いていた黄色い小さい花。
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 気になったので接写も。 何という花だろう? help > らばぴかさん
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 川沿いに上流に行くと、橋の上にこんなものが。 この橋は中島橋、別名「風の橋」と云うらしい。 このモニュメントは風で動くように成っているようだ。
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 川沿いに高速道路が走っていて、その影になるためか、ここにもまだサクラの花が少しだが残っていた。
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 こんな胴吹きも咲いていた。 せっかくなので、接写も。
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 シャッターチャンスが難しいが、三羽のアオサギ。
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 帰り道は対岸を通った。 左から小倉城、北九州市役所、リバーウオークのビル群。
 川に突き出しているのはステージで、野外ライブのような事が出来るのだろうか、市役所の手前、斜面に成っているのは階段で、これが客席になるのだろう。
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 夜は石川鷹彦さんから、馴染みの店が有るから行かないか、と誘われて、ぶらぶら出かけた。 これはその二軒目の店で、右は店のマスター。 自分でもギターを弾くようで、石川さんにはかなり傾倒しているようすだった。
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 日本酒と料理にうるさい石川さんのお馴染み、と云う事で、いずれの店も、お酒も料理も激美味だった。

 小倉と云えば祇園太鼓、駅前にもこんなブロンズが有る。 祇園太鼓と云うと無法松の一生など、ちょっと無頼なイメージがあるが、このブロンズはなんとなく可愛らしい趣が有る。
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  1. 2011/04/18(月) 23:59:59|
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まずは熊本城

4月15日
 前夜、佐賀でコンサートを終えて、その足で熊本に入っていたので、丸一日オフ日に成る。
 特に観光スポットも知らないし、なんせ40数年ぶりの熊本なので、取りあえずはお城かな、と思って、ホテルで方角を教えてもらって、ぶらぶら出かけた。
 市電の軌道に沿って北西の方角に行って、市電が大きく左に曲がるところをまっすぐ行って、坪井川の橋を渡ればもう熊本城だ。
 熊本城は大変な桜の名所のようで、1週間か10日も早く来ていれば、素晴らしい花見が出来ただろうと思うと、残念だが、逆に、もし花見の時期だったらとてもゆっくり見て回る事も出来なかったかも知れない。
 花の代わりに数え切れない巨木、大木の芽吹きと、スケールの大きい石垣に圧倒された。
 案内図で見ると、城の東側に有る「須戸口門」から入って、北に向かった事になる。

 先の方にサクラらしきものが見えるが、花はもうとっくに終わってしまっている。 それよりも新緑が素晴らしい。
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 石垣の積み方だが、階段の両側や、右端に見えている角の部分を見ると、長短の石が組み合わされているのが分かる。 これは算木(さんぎ)積みと云って、角の部分を強化するために長方形、と云うか直方体の石を交互に組み合わせる積み方で、比較的後期に開発されたやりかただそうだ。
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 ウイークデーの午前中で、人も少なかったので、のんびりと見て回れる。
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 これは多分最近に成って再建されたものだと思うが、元はこう云う櫓が50近くも存在したらしい。
 櫓の右側が突き出しているのが分かるが、これは後で出てくる「石落とし」だ。
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 これは北十八間櫓、もしくは東十八間櫓だ。 18間と云うのは長さの事だろう。 約32メーター?
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 建物は、昔から残っているものもいくつかあり、再建されたものもかなり有るのだが、こんな感じの木と石垣の風景のほうにより風情を感じる。
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 「六地蔵幢」と云う文字が読み取れるだろうか。 さださんのトークによく出てくる「六地蔵」だ。
 「幢」と云うのは灯籠のようなものと思っていいのだろうか、この六面のそれぞれにお地蔵様が彫られているとの事だが、ちょっと見たところでは確認出来なかった。
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 この八間櫓の前のサクラだけは、まだ辛うじて咲いていた。
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 こう云う櫓と云うのは、平時は武器庫として、戦時には兵の駐屯所にも使われていたらしい。
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 せっかくなので、その八間櫓前のサクラを接写。
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 これが天守閣。 左が大天守閣、右は後から建てられた小天守閣。
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 これは「不開門」、つまり開かず門だ。 と云っても現在は自由に出入り出来るように成っている。 此処は城の中では鬼門と呼ばれる丑虎の方角(東北)にあたり、普段は閉じられていて、死人や不浄物の搬出にのみ用いられたらしい。
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 これはなんと加藤清正お手植えの銀杏の木。 と云っても西南戦争の際に天守閣などと共に消失したが、脇から生えてきた、いわばひこばえが育ったのがこれだそうだ。 これでも既に百数十年経っているわけだ。
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 清正が、この銀杏が天守閣の高さに達した時に大きな異変が起こるだろう、と予言したのだそうだ。
 西南戦争の時期が、ちょうどそれに当たるのだとか。
 それにしても、その西南戦争の頃には天守閣に近い高さに成っていたのだから、想像を絶する大木に育っていたのだろう。
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 こちらはまだ咲いていた枝垂れ桜と大天守閣。
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 枝垂れ桜の向こうが小天守閣。 大天守閣とは内部で繋がっている。
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 大天守閣の土台の部分で、この石垣の積み方は、まだ前出の「算木積み」に成っていない。 こちらのほうは先に作られたからだ。
 こんな感じの武者姿の人物があちこちに居て、記念撮影などに応じてくれるようだ。
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 数百年を経ている石垣、新緑の木々、現代のビル群の対比が面白い。
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 暗門灯籠(くらやみもんとうろう)。 百匁蝋燭が点されていたらしい。 百匁は約400グラムか。
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 この鯱は昭和35年に再建された時に上げられたもので、破損が発見されたために平成8年に新しいものと交換されたらしい。
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 天守閣の入り口に至る階段。 
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 これを入って左に行くと大天守閣なのだが、案内の人が、せっかく来られたのですから、小天守閣の方にも是非上がってください、と勧めてくれる。
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 内部に展示されていた大天守閣、小天守閣のレプリカ。 これはNEXで撮ったが、結構暗かったので、フラッシュ無しにしてはよく撮れたと思う。
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 天守閣の鬼瓦。 両側の破片は多分西南戦争で焼失した分だろう。
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 小天守閣から見た宇土櫓。 櫓と云っても天守閣に匹敵するような規模を持っているようだ。
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 天守閣から撮った写真のパノラマバージョン。
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 こちらは大天守閣から宇土櫓(右側)を臨む。 塀の向こうは「二の丸広場」か。
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 ↑ 上の写真の少し左側を撮っている。 塀の手前に見える建物は西大手門とかだろうか。 左下に写り込んでいるのは天守閣の鬼瓦。
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 左側が前出の加藤清正手植えの銀杏だ。 銀杏の手前を右に進むと本丸御殿になる。
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 本丸御殿も西南戦争で焼失したが、これは平成20年に再建されたものだから、まだ出来たてのほやほや、と云う感じだ。
 新しく綺麗なので、あまり風情は感じられないが、逆に昔清正が建てた当初の姿ははこんな感じだったのだろうと思えば良いのかも知れない。
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 これは王昭君の間、もっとも格式の高い部屋らしい。 前漢の時代、和睦の証として女性を差し出す習慣が有って、これは王昭君と云う絶世の美女が、差し出されて匈奴の国に向かう道中を描いたものだろう。 馬上で琵琶を弾いているのが王昭君だが、この体勢で琵琶が弾けるのか、と云う素朴な疑問が・・・。
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 まさに豪華絢爛と云うのがぴったりの天井。
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 こちらは茶室。
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 これは「杉戸絵」。 杉戸と云うのは襖や障子のようなものらしいが、鉄砲や刀剣が簡単に貫通しないように、用いられていたらしい。
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 これも杉戸絵。 この鳥はなんだろうか?
 全然関係ない話だが「蛍の光」の歌詞を思い出した。 
 「何時しか年も すぎのとを」と云うのは「年も過ぎ」と「杉の戸」の掛詞だが、杉の扉と云うのは当時結構普通に使われていたのだろうか。
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 その杉戸絵を描くのに使われたと云う絵の具や筆などの道具類。 緑っぽいのがマラカイト(孔雀石)、その右の青いのはアズライト(藍鉱石)と云うらしい。 乳鉢や乳棒を見ると、絵の具と云うよりは薬品と云う感じがする。
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 中央の大木、櫓の番人さんに聞いたところだと、樹齢700年だかの朴木だそうで、当然ながら城よりもずっと古いわけだ。 左側は「飯田丸五階櫓」、土足禁止だが自由に入れるので、上がってみた。
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 忠実に再現されたものだろう、真新しい感じがする。
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 鉄砲狭間、つまり銃眼という事になるのだろう。
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 「石落とし」 敵が攻めてきたら、この隙間から岩石を落としてやっつける、と云うわけだ。
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 これが最上階、5階になるのだろう。 階段はいずれも大変な急勾配で、上り、下りとも要注意だった。
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 この大木も、おそらくは樹齢何百年とかだろう。 城内ではこのクラスの木が珍しくない。
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 この一角は椿園のようだが、まだこの状態で、数日前まではサクラが満開だったのだろう。
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 元々山だったところに築城したらしいが、その際に木を無闇に切らないで残したから、こう云う大木が多く見られるのだろう。
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 これは「備前堀」、熊本城では唯一の水堀だそうで、ここ以外はすべて空堀、つまり水は無いらしい。  堀の向こうに立っているのが、先ほど上がった「飯田丸五階櫓」だ。
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 この辺りは城の西側に成ると思うが、この辺りでも木が多く、新緑が目を楽しませてくれる。
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 ちなみにこの右側に見える石垣は、勾配もゆるやかで、算木積みではなくて、旧来の積み方に成っている。
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 この四角い一角にも櫓が有ったのだろう。 向こうに見えるのは「飯田丸五階櫓」、その右は前出の朴木だ。
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 サクラだけではなくて、梅園も有った。 これはまだ幼い感じの梅の実。
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 城の入場料を払う際に、200円だかを追加するとこちらも入れます、と云われた施設、名前は忘れてしまったが、どちらかと云えばお子様向けかな、と云う感じの施設だった。
 その中に展示してあった、大名行列のミニチュア。 コンサートでは話されたことは無いかも知れないが、さださんの話に出てくる小さい大名行列を思い出して撮ってみた。
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 お城ともなれば、天守閣はもちろんだが、かなりのアップダウンを歩いた事になるので、夕方ホテルにもどって少し居眠りしていたら宅間さんから電話が入った。
 「今、マサシやスタッフ、メンバー達と呑んでいるんだけど来ない?」との事。 眠っている間に何度も着信があったようだ。
 もちろん、へいへいと出かける。 今日は皆さんゴルフのはずだが、ゴルフ組と連絡がついたメンバー、と云う感じで、もうすでに盛り上がっていた。
 折角熊本に来たのだから、と頼んだのがこの馬刺し。 さすがに激美味だった。 一切れ食べてしまったてからカメラを取り出したのだが、実際には5切れ乗っていた。
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  1. 2011/04/15(金) 23:59:59|
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鶴丸城址・城山・照国神社

11月14日
日にちは前後するが、鹿児島公演の前日のことになる。
 朝、福岡・中洲のホテルの窓から見える、福博出会い橋。 前夜はここでテナーサックスを吹きまくっている若者(多分)が居た。 路上ライブと云うよりは、好き勝手に吹いている感じで、ポピュラーソングみたいなものをやっているようだった。 少し下流の橋でも、こちらはアルトサックスを吹いていた。 アルトのほうは若干専門的で、ジャズやボサノバらしきものをやっていた。
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 この日は移動日で、午前11時に博多のホテルを出て、JRで鹿児島に向かった。 博多から新八代までは在来線のリレーつばめ、新八代からは新幹線に成って本来のつばめと云う変則的な特急である。
 東北地方でも感じたことだが、同じ新幹線でも、後で出来たほうがより綺麗で機能も充実しているようだ。
 2時半頃に鹿児島に着いた。 さすがに鹿児島は暖かく、上着は要らない。 時間があったので、ホテルで大体の道筋を教えてもらい、とりあえず鶴丸城址に向かった。

 途中見かけた西郷隆盛の銅像、城山を背にして立っている。 鹿児島にはあちこちに西郷さんが立っているが、これが多分メインか?
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 照国通りから右折した中之平通り。 この辺りは多分メインストリートになるのだろうか。 舗道も広く、綺麗に花も咲いていた。
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 ホテルから15分くらいだったろうか、鶴丸城址の入口に着いた。 左には「第七高等学校造士館」とある。
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 鶴丸城と云う名前は島津家の家紋・鶴丸に由来しているのだそうだ。
 明治初期には城のかなりの部分が残っていたらしいが、明治7年に消失してからは再建されることが無かった。
 後に城址は第七高等学校などに使用され、現在は鹿児島県歴史資料センター黎明館、鹿児島県立図書館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立博物館などが有る。

 橋を渡って中に入る。 この辺りが大手門だったようだ。
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 この時期では見る影も無いが、ハスの時期に来たら見事な花が見られるのだろう。
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 この辺りは如何にも城跡らしい趣が残っている。 西郷隆盛や大久保利通などもここから出入りしていたのだろうか
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 後方に有るのが、鹿児島県歴史資料センター「黎明館」、城の本丸跡に建てられたようだ。
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 「北辰斜にをさすところ…」と歌われた七高の寮歌の記念碑。 そういえば以前、和田薫さんの劇伴で、この寮歌にちなんだドラマの音楽をやって事があった。
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 「御池」。 城内に有った池、一時期別の場所に移されていたのを再びこちらに戻して再建したと云うことだ。 目立たないが落ち着いた雰囲気がある。
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 「シティビュー」と云う、市営のバス。 後で考えたら、これに乗ればもっと効率よくあちこちを回れたようだ。 ちょっとレトロなデザインで、色んなカラーのものが走っていた。
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 薩摩義士の文字から、てっきり幕末、明治維新の関係かと思ったらそうではなかった。 よく見ると「宝暦治水薩摩義士常夜灯」と読めるが、宝暦年間に幕府が命じた尾張藩領内の木曽川,揖斐川,長良川の三河川の治水工事で犠牲になって死んだ薩摩藩士のことだ。 抗議して切腹するものが相次ぎ、最後にはその責任者も切腹するなど、それほどに過酷な工事であったらしい。 
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 その薩摩義士碑の脇から、城山展望台に至る遊歩道が有ったので、登ることにする。 
 少し登ったところから見た市内の風景。
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 突然足元で動くものが有ったと思ったら、このヒキガエル君であった。 ぼちぼち冬眠の準備か。
 カエルが嫌いな人はサムネイルをクリックしないように。
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 途中、こんなメダケの群生も有った。 笛を作るのにちょうど良さそうなものも有って、昔なら切って持ち帰ったところだろう。
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 これは展望台から見た鹿児島市内。
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 展望台近辺は結構込み合っていて、そのほとんどは中国人の観光客のようであった。 彼らはもちろん歩いて登ってきたわけではなくて、バスで来たのだろう。 大声で騒ぎながら記念写真を撮ったりしていた。
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 展望台のさらに一段上のところにあったお地蔵様。 台座を含めても人の背丈に満たないくらいの小さいお地蔵様で、さい銭箱も可愛い。 新しい花も供えられていて、お参りする人も少なくないのだろう。
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 もう少しすっきり晴れて居たら良かったのだが、展望台から見た桜島。 手前の海は錦江湾と云う事になるのだろう。
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 この時は気が付かなかったが、下から三分の一、やや右寄りに見えている建物が、鹿児島公演の会場、宝山ホールだったようだ。
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 この時点ではまだ宝山ホールの位置を確認していなかったわけだから、分からなかったのは当然だが、上の写真を拡大するとこんな感じになる。 よく見ると小松帯刀の像も見えている。
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 これは帰り道。 登ってくるときには気が付かなかったが、こんなうろのある大木が有った。 城山はずっと聖域として立ち入り禁止に成っていた事もあり、樹齢数百年と云う感じの大木も多く見られた。
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 変わった名前なのでついつい撮ってしまったが、切った時に多量の水が出るところから付いた名前らしい。
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 縦6、7センチくらいのこの実はなんだろうか。
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 ちょっと見た感じではウリの類のようだが、分からない。
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 こちらは花で、直径(?)約2センチくらいだろうか。
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 またメダケかと思ったが、そうではなかった。 葉の付き方などから見ると、アシのようだが、こんな山の中にアシが生えて売るのは意外だった。 茎は結構しっかりしていて、これならば文字通りの葦笛が作れそうな感じだ。
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 童謡「まっかなあき」にも「まっかだな・・と歌われている、カラスウリ。
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 ほぼ下りきったあたりに突然現れたこの丸い建物、「かごしま近代文学館・メルヘン館」と云うのだそうだ。 工事中で休館だった。
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 先ほどとは別アングルの西郷さん。 こういうのを撮るにはやはり一眼レフがほしいところだ。
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 先ほどこの前を通ったが、照国神社。 昔居たアンコ型の名横綱・照国と関係あるのかと思ったが、全然関係無いようだった。
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 この照国神社に祀られているのは、なんと島津斉彬、つまり大河ドラマで高橋英樹さんが演じていた人物だ。
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 照国神社で見かけた、なにやら手の込んだ細工の灯篭。
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 これは拝殿。 あちこちに丸に十の字が見えている。
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 神社の右側に有る島津斉彬像。 こんな風に高いと、写真を撮るのは難しい。
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  斉彬像の更に右に有ったこれは照国神社とは直接関係は無いのかも知れない。 掛かっている札には「鹿児島縣・護国神社頓宮」と有った。 「頓宮」とは、古い辞書を引くと「かりみや」とあったが、詳しい説明は無かった。
 こう云う古めかしい建物のすぐ裏に芭蕉の木があったりするのは、やはり南国鹿児島ならではだろう。
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 「斉鶴」と云うらしい。 斉彬の「斉」に鶴丸の「鶴」かなと思うが、島津斉彬の時代に植えられたイヌマキだそうだ。 見事に刈り込まれて、巨大盆栽と云うところか。
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 来る時も通った「天文館通り」のアーケード。 
 天文館とは、江戸時代、第25代薩摩藩主・島津重豪が、この界隈に天体観測や暦を研究する施設明時館、別名「天文館」を建設したことに由来する。

 この辺りにはその「天文館」と名のつく地名、店名が大変多いが、天文館そのものは現在では無いらしい。
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 こちらはその天文館通の入口。 手前には市電が通っている。
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 鹿児島の路面電車は第三セクターとかではなくて、正真正銘の市電だ。 ちょっとレトロな安全地帯もいい感じである。
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 いわゆる軌道敷内は、交差点以外だが、こんな風に芝生に成っている。 車が入ってくる事は全くないから、市電は極めてスムーズに走れるわけだ。
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  1. 2010/11/14(日) 23:59:59|
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岡山城&後楽園

9月9日

 倉敷でのコンサートの日だが、3時にホテル集合と云う事で結構余裕も有るので、前回は前まで行って入り損なった岡山城に行くことにする。
 駅前のホテルを出て、路面電車に乗る。 岡山の路面電車も市営ではなくて、岡山電気軌道株式会社の営業する私鉄だ。
 城下と云うところで降りると、大体の方向は分かるので、ぶらぶら歩いていくと、やがて旭川のほとりに出た。
 右に見えるのが岡山城で、橋の左が後楽園になる。

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 どちらから上がっても行けるようだが、とりあえず右手から入る事にする。

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 これをくぐって場内に入る。 これは廊下門と云うらしい。

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 これは最近発見された石垣で、築城当時のものらしい。

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 明治維新の廃藩置県の際に取り壊されたり、戦災で焼けたりしたので、残っているのはわずからしいが、この月見櫓はその数少ない一つだそうだ。 重要文化財だったか。

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 戦後再建された天守閣。 岡山城が「烏城」(うじょう)と云われるのは、この黒い壁に由来する。 ここでは入場料を払って登事にした。

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 岡山城のシャチホコ、名古屋のそれに比べると小さい。 共通して云えることは、なんとなくユーモラスな表情だろうか。

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 天守閣から旭川越しに見た後楽園。 川は自然の壕として利用されているようだ。

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 後楽園に渡る橋の途中から見た岡山城。

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 後楽園には昔来た事が有るが、この綺麗に整備された園内の印象は昔のままだ。

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 立て札には「蘇鉄畑」とある。 蘇鉄は鉄の釘などを打ち込まれると元気に成ると云われていて、それが名前の由来に成っているらしい。 実は毒が有るらしいが、毒抜きをすれば食用にも成るそうで、飢饉の時などは利用されたそうだ。

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 なんと云ってもまだ暑い時期だったので、貴重な日陰になる。

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 この太鼓橋を渡ると茶菓子を接待してくれるところが有るようだ。 こちらはパス。


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 こんこちょっと小高い丘は、「唯心山」と云って、元々は平地だった庭園に、池田嗣政の時に築かれたらしい。

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 その唯心山に登ると園内が一望できる。

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 同じく唯心山かからの眺望。 手前に見えているのは蓮田のようだ。

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 立て札には「井田」とあるが、ただの田圃のように見える。 後で調べたところによれば、昔の中国の税制から来ているらしい。 男子が成人になると、「井」のかたち、つまり九つに区分された田を耕す事が許され、その真ん中の部分で収穫した米を、税として差し出す事に成っていたとか。 この田圃も、よく見ればそう云う風に区切られていたのだろう。

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 池の向こうに見えるのが、先ほどの唯心山だ。

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 カメラをぶらぶらさせながら歩いていたら、多分わたしと同年配と思われるおじさんから声を掛けられた。
 「お一人だとご自分の写真が無いでしょう、よかったら撮りましょうか?」とのこと。 それでは、とお言葉に甘えて通ってもらおうとしてカメラを渡したが、気が付いたらモロ逆光線なので、スラッシュを強制発光にして撮ってもらったのがこれ。

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 こうして見れば、中々に気持ちの良い風景だが、まだまだ猛暑の時期だったので、結構大変だった。

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 時間もあまり無くなってきたので、ぼちぼち出ようかと思っていた時、突然とてつもない大音響が響き渡った。
 どちらかと云えば、PAがハウリングを起こしたような感じだったが、とっさになにが起こったのか分からなかったが、出口近くに居たのがこれだった。
 鶴の一声とはよく云ったモノだが、この大音響の主は丹頂鶴であった。

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 帰りは大通から少しはずれた道路を歩いて行くことにした。 結構古い町並みが残っていていい雰囲気であった。 城の近くという事もあってか、武具店がいくつかあった。

 岡山から倉敷まではバス移動で1時間も掛からなかったので、余裕でホールに着くことが出来た。

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  1. 2010/09/09(木) 23:59:58|
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