11月26日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十六日目
4月26日、ミューザ川崎で予定されていたコンサートが3月11日の震災でホールの天井が崩落すると云う事態が発生して中止に成ってしまった。 4月26日の分は払い戻してしまったそうなので、この日のコンサートはその振り替えと云うわけではないのだが、同じお客さんもかなり来ておられたのではないかと思われる。
スタッフさんの話によると、この川崎市教育文化会館に来るのは、なんと34年ぶりに成るとの事。 その時はまだ川崎市産業文化会館と云う名前で、さださんのトークでも出てきたが当時は「さんぶん」と云う通称で親しまれていたらしい。
これが川崎市教育文化会館の建物。 写真の左のほうの黒く見えている部分が楽屋口に成っている。

会館の前の通り、銀杏並木が色づき始めていた。 これは歩道橋の上から海側を撮っていて、右側の建物が会館だ。

同じく前の通り、楽屋口の辺りから撮っている。

通りから一筋入ったところがホールの入り口に成っている。

上の写真はこの右側になる。 左側に見える「川崎市教育文化会館」の表示の向こうが駅から来た通りだ。 JRの川崎駅からは歩いて15分くらいらしい。 京急川崎のほうが少し近いはずだ。

ホールとほとんど背中合わせの部分に、旧川崎球場が有る。 大洋ホエールズの頃はここでやっていたのだろう。 照明の設備は中々の迫力が有る。

球場の近くで見かけたムクドリ。

こちらは客席の様子。 キャパは最大で1961席との事。 前から3列まで、つまりバーで区切られている部分はオーケストラボックスに成るようだ。

久し振りに楽器の写真。 新しいものはと云えば、上から二番目の白い笛はソプラニーノ・リコーダー、プログラム最後の曲で、2コーラス目の間奏で使ってみたら好評だったので、このところ数回はこれでやっている。
その下の白黒ツートンカラーの笛はアルトリコーダーで、いつも使っているのはその下の茶色の楽器だ。
車で出かけるので、多少嵩張っても大丈夫だと思い、これを持ってきた。 実はこのリコーダーは、値段はともかくとして、この中では一番ハイレベルと云ってもいいだろう。 30年あまり前に入手したオランダ製の楽器で、白い部分は象牙が使われている。 このところ家に置きっぱなしだったので、たまには使ってやらねば、と思い、「田んぼにぽつり♪」の曲の中で吹いてみた。 特に目立つ箇所ではないから、違いは分からないだろうが。
リコーダーの下に有る二本の黒い笛はホイッスル、半音違いなのでサイズがあまり変わらない。 急いで持ち替えた時に間違ったら悲惨な事になるので、端っこに目印の白いテープを貼っている。

ロビーの様子。 壁の装飾はタイル(?)のモザイクに成っている。

これも同じくタイルのモザイクに成っている。 多分街の様子か地図のような感じに見える。 抽象化されていてはっきりとは分からないが、かなりの大作だ。

これもロビーの様子。 スペースはかなりゆったりとしている。
建てられたのが1967と云う事だから、この手のホールとしては古いほうに入るのだろう。 建物全体に、なんとなく年輪を感じさせるようなものが有って、ある種懐かしい雰囲気が漂っている。

前回さださんのコンサートが有った1977年となると、さださんはソロに成った直後、スタッフの中には当時まだ生まれていなかったと云う人が何人も居るそうだ。 メンバーでも青弦さんはまだ首がすわらない赤ちゃん、平石さんは小学校3、4年生だったとの事。
わたしはと云えば、まだオケに在籍しながらスタジオの仕事もやっていた時期で、猛烈に忙しく、いや、活発に活動していたと云う事に成る。 ステージでもその辺りの話が出て、あらためて、時代の流れを感じさせられていた。
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11月25日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十五日目
前日が移動日で既に福井に入っているので、結構時間は有ったのだが、生憎の雨で足止めを食らった感じであった。 それでもこの時間を無駄にするのも癪だと思い、昼前に出かけて永平寺に参拝した(こちらは別記事にする予定)。
お寺から戻り、ちょうどホテルを出発する時に、何故か消防車が数台、サイレンを鳴らしながら次々とホテルに向かってやって来ると云う騒ぎがあった。 見たところ煙が出ているわけでもなく、何事かと思いつつ会場に向かった。 後で聞いたところでは、厨房でボヤがあって、それはすぐに鎮火したのだがセンサーが作動して、自動的に消防署に通知が行った、とのことだった。
この日は生憎の雨で、外回りの写真は撮れなかった。 ホール外観の写真は昨年の記事に有るので、ご覧になりたい方は
こちらをどうぞ。
これはフェニックスプラザの客席。 キャパは2000人との事で、見た目の特徴としては一階のみの平面で、左右の幅はかなり広い。

上の写真では分からないが、横から見るとこんな感じで座席にはパンフレットが置かれている。 久々の「さださんが一杯」状態だ。

このホールはいわゆる多目的ホールで、真ん中より前は、パイプ椅子を並べただけなので、それをのければ平面に成るように成っている。 パイプ椅子だとこんな感じで挟む事が出来ないので、椅子の上に置いてあったが、後ろのほうはこうして綺麗に立てられている。

確か昨年は二つ折りにして立ててあったので顔半分のさださんが並んでいたが、今回はこうして綺麗に立てられている。 いずれにしてもこれは壮観である。

「入念」なリハーサル風景。 これは一曲目のあの曲だが、コーラスをやりながら撮ったもの。

一番新しい、多分一番若いスタッフ、岩本さん。 壁の補修に余念が無い。

ロビーに置かれていた椅子、一見、さすが福井だから竹細工かと思ったがそうではなくて、金属製だった。

ロビーに貼られていたポスター、この取り合わせがなんとも云えない。

ロビーに置かれていた胸像。 台座を見ると「グレラー氏の像」とある。 ルイ・グレーラーと云っても分かる人は少ないと思われるが、昔、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターだった人である。 50年くらい前になると思うが、何度か日フィルのトラに行った事があるので、一緒に演奏した事があるはずだ。
ちょっと調べたら、グレーラーさんは、あのトスカニーニのNBC交響楽団でプレイしていた方だそうだ。 そのNBC交響楽団の後継団体である「Symphony of the Air」のコンサートマスターを務めていたと云う事だから結構すごい人だったわけだ。 「愛の喜び」、「ウイーン奇想曲」などの小曲で有名なフリッツ・クライスラーの演奏を生で聴いた事が有るとか、或意味歴史の証人とも云える人だ。
この像、バイオリンの持ち方など問題は有るにしても、顔はかなりよく似ている。

ホールに入った正面の壁のレリーフ。

例の募金箱も置かれている。 左側は倉田さんのコーナー。

ここは誰でも入ってこれるスペースで、開場待ちのお客さんだけではなく、他の目的の人も居られるのだろう。


かなり天井の高い吹き抜けのスペースで、真ん中左よりのものはエレベーターのようだ。 エレベーターの周りに有る椅子も、ホールの中に有ったのと同じものだ。

ロビーからガラス越しに外を撮ってみた。 夕方5時頃なのだが、天気が悪い事もあって、実際にはもっと暗かった。

同じく外の風景。 たしか立木の向こうに路面電車が通っていたと思う。

雨が掛からないぎりぎりのところから撮った入り口。

ツイッターでさだファンの方が引用しておられた福井新聞の記事だが、写真をよく見たらさださんの他に田代さんとわたしがしっかり写っていた。
ダウンロードした写真を貼ろうかと思ったが権利関係が有るかと思って自粛。 ご覧になりたい方は、
こちらをどうぞ。
さださんの表情、田代さんがコーラスしている、わたしがフルートを吹いている、と云う事から見ると、多分1曲目のあの曲だろう。
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【永平寺】
11月25日
福井フェニックスプラザでのコンサート当日。
前日に福井に入っているので、リハの開始までは結構時間が有った。
何をして過ごそうか、何処へ行こうかなど考えてはいたのだが、朝からの雨模様なので、若干モチベーションが下がりつつ、しばらくもたもたしていた。
雨が多少小降りに成ってきた事もあり、11時過ぎ頃か、意を決してホテルを出た。
福井と云えば永平寺、まだ訪れたことが無いので、この機会を逃す事は無いと思い、駅の方に向かった。
途中見かけた路面電車。 乗降口の高いところを見ると、市街地だけではなく郊外も走りそうだ。

行き先表示に「越前武生」の文字が見える。 武生市だと思ったら町村合併で越前市に成っているようだが、いずれにしてもここからは20キロ近くはあると思われる。 やはり市街地だけではなく郊外も走るようだ。

えちぜん鉄道の駅はホテルの方から行くとJRの反対側、つまり東側にこぢんまりと有る。 ちょうど出た後だったのか、20分ばかり待つことに成った。
えちぜん鉄道は、元は京福電鉄だったのが福井市などに経営が移って名前も変わったらしい。 電車の感じとしては京都の嵐電や叡電に近い感じがするが、二両編成の電車(ディーゼルではない)である。
変わっているのは、飛行機のCA風のユニフォームに身を固めた女性車掌(アテンダントと云っていたが)が付いていて、これが中々フレンドリーで、切符の販売や変更はもちろん、色々と質問にも応じてくれる。
そう云えば京都の嵐電、四条大宮から嵐山に行く電車だが、あれも京福電鉄だった。 ちなみに京福電鉄の「京」は京都、「福」は福井だったはずだ。

ホームのベンチにはこんなものが座っていた。 福井では恐竜が有名と聞いた事が有ったが、勝山と云うところに恐竜博物館が有るようだ。 勝山はこれから行く永平寺より更にずっと先に成る。

永平寺口で電車を降りて、京福バスに乗り換える。 歩くつもりだったが、歩いて行けるような距離ではなさそうであった。 歩けたとしても時間的に間に合わないだろう。
バスを降りて更に5、6分歩くと永平寺の門に着く。

この日本家屋風の建物、看板には「永平寺門前警備派出所」と書かれていて、なんと交番である。

曹洞宗大本山永平寺と彫られた石碑

これが永平寺の正門になるのだろうか。 傘をさしている人も多いが、多分観光バスで来た団体さんだろう。

道元禅師の歌、「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」

参道、晴れていればもっと綺麗な紅葉が見られたのだろう。

この川はその名も「永平寺川」

永平寺川はいずれは九頭竜川に注ぐらしい。

若干負け惜しみ気味に云えば、雨に濡れた舗道もまた風情がある。

この辺りの建築はしっかりした鉄筋コンクリートだろう。

★ 傘松閣
通用門から入り、拝観料を払って順路にそって進んでいくと、最初に有るのがこの傘松閣。
これは傘松閣の大広間(156畳敷)、別名「絵天井の大広間」。
たまたまこの時そうだったのかいつもそうなのかは分からないが、恐ろしく暗かった。 こんな写真に成ってしまったが、実際にもこれに近い暗さだった。
1/60でシャッタースピード優先に成っていたので無理もない。

そんな事で、その時は全く気付かなかったが、天井が絵天井に成っていて、当時(昭和5年)の画家たちが描いた230枚と云う花鳥風月の絵が貼り付けられているのであった。 上の写真をなんとか加工したのがこれで、辛うじて絵である事は分かるが、そうと分かっていればもう少しましに撮ることも出来たのに、惜しい事をした。

★ 傘松閣・達磨の掛け軸
取りあえず絞り優先にして、同じ部屋で2枚撮ったうちの一枚がこれだ。 後でデータを確認したら、今度は露出がなんと1/2秒とかに成っていた。 部屋の真ん中に突っ立っての手持ちだから、ブレずに済んでいるのはほとんど偶然でしかない。
達磨さんの掛け軸の横に有るのは布袋さんのようだ。

★ 仏殿
伽藍の中央に位置する「仏殿」、明治35年に改築された。 木には北陸地方独特の「雪釣り」が施されている。 この辺りは山沿いだから、積雪もかなりあるのだろう。

元々がかなりの傾斜地に建てられているので、各僧堂、伽藍をつなぐ廻廊は、こんな感じの階段に成っている事が多い。

よく見ると黒い部分に白っぽいものが見えるが、これは雨粒が写り込んでいるのだ。 かなり激しく降っていたのが分かる。
晴れていればもっと綺麗な色が楽しめたのだろう。

これも晴れていれば、と云いたいところだが、山のほうに見える靄はこの天候でなければ見られない。

★ 法堂
「法堂」と書いて「はっとう」と読む。 天保14年(1843年)に改築された。
禅師の説法や各種の法要もここで行われるそうだ。

この法堂の内部もかなり暗いので、たしかなにかの台で固定して撮ったと思う。
永平寺で有り難いのは、僧侶にカメラを向けない、フラッシュは禁止などの規制は有るが、カメラがOKなところだ。 狛犬のように見えるのは「白獅子」、左右で阿吽に成っているそうだ。

法堂からの眺め。 コントラストが強すぎだが、黒い部分の間から見える景色が面白いかなと思ってみたり。

★ 承陽殿
「じょうようでん」と読む。 道元禅師のお墓に相当するところらしい。 この「承陽」と云う額は明治天皇から下賜されたものだとか。

★ 承陽門
これは内側、つまり承陽殿のほうから撮っている。

承陽殿の前に置かれていた香炉(?)。

「仏殿」の内部、ここもとても写真が撮れるとは思えないほど暗かった。 この「祈祷」という額は永平寺64世 悟由禅師(ごゆうぜんじ)のものだとか。

★ 大庫院
普通のお寺の庫裏に相当するそうだが、斜面に建っているこのかたちも中々に捨てがたいものがある。

大庫院前に掛けられた大すりこぎ。 永平寺を建立する時、地固めに使った木をすりこぎにしたと伝えられている。 これを三回撫でると料理が上達するとかで、この前で記念撮影する人が引きも切らなかった。

大庫院の辺りから「山門」を見下ろす。

★ 仏殿
前にも撮った仏殿。 さらに雨が強くなっている事が分かる。

この山門の両側に、四天王が安置されている。

上のほう、工事中のようだが、多分これが「中雀門」だったと思う。

四天王の一人、「南方増長天王」

同じく、左は「北方多聞天王」、右は「東方持国天王」。 いずれも色がかなり鮮やかなので、最近のものか?

左は上に有った「南方増長天王」、右は「西方廣目天王」

★ 鐘楼堂
大晦日の「行く年来る年」でよく登場するのはこれだろうか?

ちょっと定かでないが、多分「仏殿」の右側、こちらにも雪釣りが。

ラッキーな事にお寺を出る頃には雨も傘をささなくても良いくらい小降りになった。 多少割高だが福井駅前まで乗り換えも無く、時間的にも短くて済むと云うことで、帰りは京福の特急バスと云うのに乗った。
これは駅前で見た別バージョンの路面電車。 こんなラッピング電車(?)も有るのだ。
ここでは単線に成っているが、この少し先が福井駅で終点なので、タイミングを調整すれば単線でも大丈夫なのだろう。

時計を見たら約2時半、多少腹も減ったので、駅前でラーメンを食べて、また歩いてホテルに戻った。
時系列的にはこの後
こちらの記事に続く事になる。
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- 2011/11/25(金) 23:59:58|
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11月23日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十四日目
羽田から富山空港はちょうど1時間、空港からはいつものようにジャンボタクシーで会場オーバードホールに入った。
富山オーバードホールはほぼ一年前にも来ているが、大変立派なホールである。
富山市芸術文化ホール、と云うのが正式名称、オーバードホールは通称だ。
駅はすぐ近く、と云うよりは駅の真ん前に有るし、近くのお客さんには路面電車も有るし、交通の便は申し分無いだろう。
最近、ちょっとした大都市ではホテルやデパートが入った巨大な駅ビルに成っているケースが多いが、この富山駅はそう云うタイプではなくて、ちょっと控えめな感じに好感が持てる。 右の方には路面電車の乗り場が有る。

ポートラムと云う愛称で親しまれているライトレール、路面電車だ。

残念ながらまだ乗ったことが無いが、此処の路面電車は今まで見た中では一番綺麗な車両ではないかと思う。

この向こう側はポートラムの乗り場だが、壁に描かれた絵は有名な「おわら風の盆」のイメージらしい。 右の方に三味線を弾く姿が有るが、胡弓なども活躍するはずだ。 左上に「富山第一銀行」の文字が有る。

ちょっとカラフルな感じだが、オーバードホールはこの下の部分になるはずだ。

建物の全容。 結構高いので、交差点を渡らないと全景が入らない。

オーバードホールの入り口。 「アーバンプレイス」の下に「オーバード・ホール」の文字が見える。

こちらは横の方に有る別の入り口。 ここには「富山市芸術文化ホール」とある。 我々が出入りする楽屋口はこの左の方だ。

上の写真の別アングル。 左の白い柱(?)には「AUBADE HALL」の文字が見える。 ちなみに「aubade」とは手元の仏和辞典によると「朝楽:(人に敬意を表するためにその窓下で夜明けに奏する)」とあった。
セレナーデのようなものか。

お客さんの入り口から入って、エスカレーターで二階に上がるとホールに成るが、これはまだ準備中のロビーの様子。

エスカレーターの横には、すでにクリスマスツリーのデコレーションも飾られていた。

これが今回のポスター。 この人二日後の福井フェニックスプラザと共用のポスターのようだ。

これがオーバードホールの内部の様子。 三階席まで有って、それぞれにバルコニー
を備えた、見た目にも素晴らしいホールである。 キャパは最大で2200席との事。
この写真でもわかるが、スポットライトの位置が大変高いところに有る。
今回は客席の写真をこれしか撮っていなかったので、興味の有る方は
こちらをどうぞ。

キムチさんの手の上に有る小さな鈴は、さださんが被災地に贈る為に用意されたものの一つとの事だ。

スタッフの小松さんと打ち合わせ中のキムチさん。
サウンドチェックでピアノを弾く倉田さん、左はブタカンの桜井さん、右は長澤さん。

今回の演出では、さださんは舞台袖からではなくて、真ん中の雛壇からでて、ステージ中央で板付きに成って歌い始める事に成っている。 その雛壇の横にわたしの席が有るが、わたしのすぐそばを通る時に「談志さんが亡くなったらしい」とささやいて行った。
とっさにその時は「あ、そうなんだ」としか返せなかったが、この日のトークで談志師匠の話しが出たのは云うまでもない。
楽屋での雑談でも、よく落語の話で盛り上がる事があり、これが始まるともうこれが止まるところを知らない。 さすが落研出身のさださん、色んな落語家さんの物まねがめちゃくちゃ上手いのに感心してしまう。
楽屋で出前で取ったもので、メニューに単に「そーめん」と有ったので、どんなものが来るかと頼んだのがこれ。 温麺かと思ったらこれが冷麺で、ちょっと酢の利いた醤油味で、ユニークだった。

打ち上げはさださんが昨年と同じ店に連れて行って下さって、刺身から焼き魚など素晴らしい料理と選りすぐりのお酒で舌鼓を打った。 これはお通しで出てきた富山名物の鱒寿司。

この夜すごかったのは、よくさださんのトークにも登場する、これが完成したら石油も核も要らなくなり、戦争も無くなってしまうだろうと云う水素エンジンの研究をしておられる先生が来られたのと、同じくトークによく出てくる、最近だと七ヶ浜の慰霊祭に登場するお坊さんが来られた事だろう。
これはそのお坊さんからの差し入れで、限定生産の珍品焼酎。

店は本来ならば休日(勤労感謝の日)で休みのところを特別に開けてもらったのだそうで、さだまさし御一行で完全に貸し切り、遅くまで盛り上がった。
この場でも談志さんの話が出ていたが、そんな最中に談春さんからさださんに電話が入ると云う一幕も有った。
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2011年11月18日
都営地下鉄線の曙橋近くに有る、バックインタウンと云うライブハウスに行った。
靖国通りに面した分かり易いところで、今までもその前は数え切れないほど車で通っていたのだが、そんなところにライブハウスが有るとは知らなかった。 まあ、ビルの地下なので、あまり目立たないと云うところもある。
ギタリストの坂元昭二さんのライブに参加したのだが、坂元さんと一緒に演奏したのは、昨年だったか例の「サッポロクリーミーホワイト」のCM(北の国からのメインテーマ)の録音でご一緒したのが多分初めてだったと思う。
あの時は、我々はさださんのツアー中で名古屋にいたのだが、リハーサルは名古屋でやる事に成り、坂元さんはそのリハの為にわざわざ名古屋に来られる、と云ういきさつが有った。 さださんとメンバー全員が東京に戻るよりは坂元さんお一人が来られたほうが、足代その他がかなり少なくて済む、と云うような事もあったのだろう。 リハと云っても正味20分くらいだったろうか、まあ、お疲れ様と云う感じだ。
ちなみにあのCMは震災で工場がダメージを受けた為に、製造が止まり、現在は品物も店頭から姿を消し、CMも放映されていない。
坂元さんは以前さださんのバックを17年間も務めておられた方で、いわば大先輩に当たるのだが、その坂元さんから「ライブに来ませんか?」と云うメールが来た。
普通だったらそれだけの接点しか無かった方からだと、ちょっと考えるところだが、同じさだファミリーみたいなものだから、と思って引き受ける事にした。
ライブハウスでやったことが無いわけではないが、内容は木管五重奏を中心としたものだったから、こう云う本格的(?)ライブは初めてと云う事になる。

プログラムは、一部の後半から笛が入り
★ 大陸から (al fl)
坂元さんのオリジナルで、以前はバイオリンとやっておられたようだ。

音域的にはフルートでは少し低く、アルトフルートだと上のほうがちょっと厳しいかな、と云うところだったが、リハの時、試しにアルトフルートでやってみたら良い感じだったのでアルトにした。

タイトルの通り、おおらかな雰囲気のゆったりした曲だった。

★ ハルカナリ (low whistle)
少し風変わりな感じの沖縄的な音階の曲で、頂いたサンプルだと南米のサンポーニャやインドのバンスリみたいな笛だったが、これはローホイッスルで演奏した。 普通のホイッスルのオクターブ下の楽器だ。

★ 北の国からメドレー
愛のテーマ (pan pipe)
純のテーマ (rec)
五郎のテーマ (pan pipe)
シュウのテーマ (al)
ダイアモンドダスト(渡辺俊幸) (fl)
坂元さんとの接点と成った北の国からのメドレー。 「メインテーマ(愛のテーマ)」はパンパイプで演奏。 最初の部分は跳躍に弱いパンパイプではちょっと難しい面が有るのだが、アカペラでフリーテンポだったので、なんとかクリア。 サビの部分はさださんのコンサートでもいつもやっているので楽に行けた。

「純のテーマ」はソプラノリコーダー、「五郎のテーマ」はオリジナルのパンパイプをやっているので、当然パンパイプでやっった。

「純のテーマ」はソプラノリコーダー、

「シュウのテーマ」は途中サビの部分からだがアルトフルートでやった。

途中、徳島名物の竹チクワの竹でパンパイプを作る話などを披露。

「ダイアモンドダスト」と云う曲は、さださんのコンサートでやるメドレーには入っていないが、これはなんと渡辺俊幸さんの曲だそうだ。 いかにも俊幸さんらしいシンプルでゆったりとした美しい曲で、これはフルートで演奏。

あと休憩の後、二部の真ん中に笛が入り、
★ いのちの理由 (fl)
前日に成って急遽追加に成った曲で、坂元さんの弾き語り。 これはオリジナルのアルバムでもフルートだったので同じくフルートで演奏。 さださんのファンも多く来られるので、と云う事で入ったようだ。

★ 故郷 (rec)
「うさぎ追いし・・・」と云うあの「故郷」、誰でも知っている曲も、と云う事で入ったようだが、これはソプラノリコーダー。


★ わたしを泣かせてください(Lascia ch'io pianga) (fl)
この曲は、メロディーはよく聞くわりに不覚にして詳しい事は知らなかったが、これはヘンデルの「リナルド」と云うオペラの中で歌われるアリアらしい。
ネットで調べた限りだが、もしかするとこのアリアはカストラートが歌うことに成っていたのかも知れない。

これで笛の出番は終わり、後は客席で皆さんと一緒に坂元さんの演奏を楽しんだ。
スタジオで会うギターと云えばどちらかと云えばフォーク系、エレキ系、ジャズ系の人が多いが、坂元さんの場合は明らかにクラシック系、若しくはガットギター系と云う事が分かった。
アンコール2曲の後、更に皆で一緒に歌うと云うコーナーまであって、最後まで盛り上がっていた。
終演後はお客さん達と記念撮影をしたりお話したりで、少し時間を過ごした。
柄にもなくサインを頼まれたり。

最後には坂元さんと記念撮影。

写真は全て会場に来ておられた マーマレード さんご提供のものを使用
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- 2011/11/18(金) 23:55:59|
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11月13日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十三日目
鹿児島にはツアーで以前に二度来ているが、その内一回は一泊するためだけだったから、コンサートで来るのはこれが二度目と云う事に成る。
今回はリハーサル直前に会場に入って、次の日は朝の飛行機で東京に帰る、と云うスケジュールで、かなり慌ただしい滞在だった。 鹿児島に居た時間は20時間弱だったようだ。
前回は城山に近いほうに有る宝山ホール(鹿児島県民会館)だったが、今回は錦江湾に面している鹿児島文化市民ホールのほうだった。
文化市民ホールの客席。 1990席だから、この手のホールとしては中くらいの大きさだろうか。

リハの合間のステージ。 相変わらず一部モザイクで申し訳無い。

スタッフの小松さん、さださんのバイオリンを準備中。

隣の席のキムチさん、やはり帽子が似合う。

田代さんを覗き込む青弦さん。 向こうの平石さんは黙々と手慣らし中。

ロビーに飾られているバイオリンを弾く女性、、と云うより少女像。 横にはやはり募金箱も。

ばるーんさんのショップ前。 右の三人は恐らく現地のアルバイトさんだろう。

この写真では分からないが、窓の外には海が見えていた。 ここからは桜島も見えるはずだが、今回は残念ながら外で写真を撮る暇が無くて残念であった。

同じ九州でも場所によって客席の雰囲気が違うのが面白い。
ここ鹿児島では、お客さんの反応が、打てば響くと云う感じで返ってくるように思えた。
終演後はホテルからは少し離れているが、天文館通り近くの店に入った。 キムチさんは終演後熊本のご実家に帰ったので、残りの5人で、山芋のステーキ、ガランツ(鹿児島の言葉で、鰯類の干物)など、珍しいつまみで焼酎などを飲んでいた。
明朝は出発が早いので、この日はほどほどにして引き上げた。
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11月12日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十二日目
これが福岡サンパレスのホール部分で、傘をさして並んでいるお客さんが見える。 そう云えば昨年もこんな感じで行列に成っていた。

こちらはサンパレスのホテルのほうだ。

サンパレスには昨年の「予感」ツアーでも来ている。 調べたら11月13日、一日違いだった。
曜日も同じ土曜日、次の日から大相撲の九州場所が始まると云うのまで同じである。

そんな事で隣接する福岡国際センターではこの通り、大相撲の幟が林立している。 左右の端には「がんばろう日本 力士一同」と書かれた薄いブルーの幟が見えている。

こちらがサンパレス・コンサートホールの客席。 キャパは2316席とかなり大きい。

上手側から斜めに見るとこんな感じ。 比較的シンプルな作りと云えるだろうか。

キムチさん、サウンドチェック中。 マイクスタンドを調整しているのが長澤さん、背中は垣見さん。

左から長澤さん、田代さん、青弦さん。 青弦さんの髭がかなり伸びてきたようだ。

サウンドチェックは普通キムチさんから始まる事になっていて、トリは倉田さん。 左はブタカンの桜井さん。

ここでも設置されている東日本大震災向けの募金箱。

円形の壁、上のほうにちょっと不思議な感じの壁画が。

たしか外から見える円形の部分がこれになるのだと思う。

ところで、ツアーに出る前から、福岡の会場の近くにすご~く美味いラーメン屋が有るから是非行こう、と云う話がキムチさんから出ていた。 尾張瀬戸のウナギと同様、ツアーミュージシャンの間ではかなり有名なところらしい。 と云う事で有志、キムチさん、田代さんとわたしの3名で行くことになった。 場所がちょっと分かり難かったが、やがてたどり着いたのがこれだ。

博多のラーメンにしては味噌味が有ったりなど、かなりメニューにバラエティが有るらしい。 ネットで見ると、きたなくて小さい店だが美味い、と云うようなコメントが多く見られたが、どうやら最近リニューアルしたようだ。

暖簾にも「ダーメン」とあるが、ここでは豚骨ラーメン以外はダーメンと云っているようだ。 我々はとりあえず基本的な豚骨ラーメンを頼んだ。 やがて上がってきたラーメンは、一見普通の豚骨ラーメンだが、その味はちょっと他とはひと味違うものだった。 味を言葉で表現するのは難しいが、非常にバランスのとれた洗練された味、とでも云おうか。

これは店を背にして撮ったもので、ここは那珂川の河口、左の方に見えるのは競艇場のフェンスだ。 考えてみるとここには以前中州から歩いてきた事があるのだが、不覚にしてラーメン屋には気がつかなかったようだ。

満足して楽屋に戻ったら、こんな差し入れが来ていた。 普通に買ったらおそらくとんでもない値段ではないかと思われる、超豪華弁当であった。
そういえば昨年も、宅間さんからそのラーメン屋に行こうと云う話が出ていたのだが、先にこの弁当が来たので、ラーメン屋に行くのは中止にした、と云う事を思い出した。
こんな感じで箱に入ってはいるが、これもうちょっとした会席料理である。 ラーメンはチョー美味かったが、その後にこれが来るとは・・・。

なにやら食べ物の話ばかりで申し訳無いが、肝心のコンサート、この日も長崎と同じ曲目だった。
会場は長崎とはまたちょっと違った感じで盛り上がった。
気のせいかも知れないが、この日は男性のお客さんからのお声掛けが結構多かったようだ。
いずれにしても、さださんと一体になって、積極的にコンサートに参加しようと云う気持ちが強く感じられるように思った。
終演後は豪華打ち上げ、ちょっとリッチな博多の夜であった。
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- 2011/11/12(土) 23:59:59|
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11月10日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十一日目
長崎は雨、と云う予報を聞いていたが、長崎空港に着いた時はほとんど降っていなかった。
長崎市内までは車で約40分、時により、ところにより、雨は降ったり止んだりと云う状況ではあったが、ホールに着いた頃はやはり小雨模様であった。 どうやら今回に限り、さださんの晴れ男伝説は通じなかったようだ。
で、予定ではホテルに寄ってチェックインを済ませた後で会場に向かう事に成っていたが、メンバー全員の希望で、チェックインを省略して、江山楼に寄る事にした。 つまり公式スケジュール(?)の通りだと、これを逃せばチャンポンを食べるチャンスが無く成ってしまうからだ。
お台場の出店をのぞけば江山楼は二度目、前回はチャンポンを食べたので、今回は皿うどんにした。 頼んだのは「並」、見た目のボリュームはちょっと物足りない感じだったが、濃厚な味付けで激美味、満足出来るものであった。 やはりこちらならではのものだろう。
チャンポンと皿うどんをそれぞれに堪能した後は、即車で会場へ、定刻ギリギリだったがホールに飛び込み、入念(?)なリハーサルとなった。

こちらはブリックホールの入口。

あいにくの雨で外に出られなかったので、以下の三枚は次の日に撮ったものだ。
会場のすぐ横を長崎本線が通っている。 これはたしか踏切を背にして撮ったと思う。

この日(つまり次の日)のブリックホールは、何処だったかの高校の音楽祭のようなことをやっているようだった。

ブリックホールの名前の通り、建物のだぢ部分に煉瓦が貼られている。

これがブリックホールの客席。 キャパは車椅子席8席を含めて2002席。 ホール全体が傾斜に成っているので、どの場所からもステージが見やすいのだろう。

サウンドチェック中の平石さん、後ろから失礼。

九州方面に来ると、お馴染みの光景、今回はさださんの写真が下に成っているようだ。

ロビーの様子。 ガラスの感じがなんとなく教会のステンドグラスを思わせるものがある。

ロビー横の壁にはこんなものが。 星のようなイメージは有るが、実際はどうなのだろう。

こちらは反対側の壁、多分同じ作者だろう。 抽象的なず柄だが、なにか暖かいものを感じさせるところがある。

こちらは正面の壁。 かなり幅が広いので、斜めに撮らないと入りきらない。

ロビー横手に置かれていた、レトロな振り子時計。 この写真では分からないが、よく見ると HOWARD MILLER と云う文字が有る。 ちょっと調べたら、有名なアメリカのメーカーらしい。

こちらでも東日本大震災の募金箱とさださん直筆のメッセージが。

大ホールの入り口に向かう階段。 まだ会場していなかったので、係員しか見えない。

こちらはエントランスホール。

コンサートは予想通り、と云うよりは予想をはるかに上回る盛り上がり方だった。 さださんのトークも、最初のうちは普通に大人しく(?)進行していたが、途中から徐々に長崎弁が出てきて、特に「長崎弁・グランプリ」などの話題が出るに及んで、まさに大炸裂と云う感じだった。
久しぶりに曲目の変更が有って、遼くんの歌の代わりに「秋桜」(ピアノバージョン)が入った。
終演後はさださんとメンバー、外嵜さんとで、いつも訪れる例の店に行った。 少し遅れてスタッフさんや地元のお友達なども入ってきて、お馴染みの「一口餃子」や「きもたま」「にらたま」などに舌鼓を打った。
これは名物の一口餃子。 文字通りの小さな餃子だが、口の中でとろけるような味と食感は、一度食べると病み付きに成る。

これは「きもたま」、レバー、卵、ニラ、などで特別な材料は使っていないのだが、この美味さは素材の良さと味付けだろう。

途中、さださんお馴染みの近くの店へ「クラブ活動」に出かけるなどもあり、遅くまで盛り上がった。
ホテルに戻ったのは三時近かったかも知れない。
カメラは IXY DIGITAL 10、Sony NEX-5 を使用
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- 2011/11/10(木) 23:59:59|
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上信越自動車道の碓井軽井沢インターを出てそのまま直進すると軽井沢に行ける訳だが、坂道の途中に2箇所ばかり絶景ポイントと云うほどではないが、ちょっと車を止めて景色を楽しみたくなる場所がある。
これはそのポイントその1の風景。 もっと横長のパノラマをご覧になりたい方は、
こちらをどうぞ。
方角はさだかではないが、多分北東を見ている事になるのだろうか。
手前のギザギザした山は妙義山だが、遠くに見えているのは榛名山らしい。 これで赤城山が見えれば群馬三山を一望出来る事になるのだが。

これは同じ場所から反対側を見たところで、山の向こうは長野県に成るはず。 この辺りではカラマツが多いようだが、カラマツの黄葉は始まったばかりと云うところか。

軽井沢・南原の別荘地で見かけたモミジ。

雲場池と云う軽井沢の中でも有名な観光スポットが有るが、これはその池の前の道路。 池を訪れる人も結構多い。

こちらがその雲場池だが、生憎日が陰った時だったので、こんな写真に成ってしまった。 実際はもっと綺麗だったのだが。

これは池の端っこの部分、こちらのほうが綺麗だった。

これも池のサイド。

こちらは南原の別の場所のモミジ。 花でもモミジでも青空バックと云うのが良いようだ。

同じ木の別アングル。

浅間山を撮りに行った時は残念ながら雲がかかっていてこんな感じだった。

こちらは次の日、帰りがけに通ったポイント2、つまりポイント1より少し上で、下り坂の途中になんとか車を止められる場所があるので、通行量が少ない事を幸いと、1、2分駐車して撮った。 これは二枚を横に繋いでいる。

パノラマ写真はどうしても横長に成ってしまうので、カメラを90度回転させて撮った縦長の写真を繋いでみたのがこれ。

カメラは IXY DIGITAL 10 を使用
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テーマ:四季 −秋− - ジャンル:写真
- 2011/11/09(水) 13:39:36|
- @軽井沢
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11月18日ですが、さだまさしさんのサポートミュージシャンとしても活躍しておられたギタリスト、坂元昭二さんのライブにお邪魔する事に成っております。
ライブハウスというのは、わたしにとっては全く新しい世界に成るので、若干ドキドキでもあるのですが、どんな事になるのか、楽しみにしております。
曲目は坂元さんのオリジナルとさださんの曲が中心になると思います。
当日おいで頂けると、大変嬉しいです。
詳細は、
日時 11月18日(金)
場所 バックインタウン 都営地下鉄・曙橋駅の近くです。
18:00 会場、19:30 開演
料金 3675円、高校生以下 2675円(飲食別)
下記の電話もしくはHPから予約出来ますので、宜しくお願い致します。
新宿区住吉町3-2 第2山田ビルB1
tel 03-3353-4655
website http://homepage3.nifty.com/backintown/ 「バックインタウン」で検索出来ます。
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- 2011/11/09(水) 12:33:10|
- コンサート、ライブ
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11月5日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 四十日目
昨年横須賀に来た時もそうだったが、ナビの通りに来ると、最後に右折したところで到着、と云うことになるのだが、これだとホールの駐車場には入れない。 右折のところでUターンしなければ行けないのだ。
1時間半以上時間が有ったので、前からちょっと気になっていた安針塚に行ってみることにした。
会場のすぐ裏が京急の汐入駅だが、ここから二つめが安針塚駅だ。

駅で若い駅員さんに「安針塚は?」と聞いたら思いっきり「?」な顔をされてしまった。
安針塚駅に勤務しながら安針塚を知らないとは、と驚いていたら、上役さんが「出たら左です」と行って、地図をくれた。 それによると徒歩で約20分とのこと。
恐ろしく簡略化された地図だったので、途中何度か人に聞いたり、ちょっと間違ったりしながら坂道を登っていく。
これは途中で間違って入り込んだ「ホタルの里」。

しっかり整備されていて、あまり自然と云う感じはしないが、綺麗な水が流れていた。


上り坂の途中で出会ったトノサマバッタ。
生のトノサマバッタに会ったのは何年ぶりになるだろうか。
飛び立ってしまえば一巻の終わりなので、用心しながらカメラを取り出す。
マクロにセットしてぐっと近寄って一枚。
もう一枚、と思ったら飛び立ってしまった。
それほど遠くに飛んだわけではないのだが、探している時間も無かったので、一枚で諦める。
駅から5、6分の距離を想像していたのと、上に行くほど勾配が急に成ると云う結構な上り坂、だいたいが暑いくらいの陽気だったので、いい汗をかいてしまった。
やっと塚山公演にたどり着いた。 それらしき碑が有ったので、多分これだろうと思って撮ったのだが、後で調べたら安針塚は更に上の方に有ったらしい。 安針塚に関しては
こちらをどうぞ。
碑の文字をよく見れば分かったのだが、薄暗くて読みにくかったのと、時間も無かったので、とんだ早とちりに成ってしまった。
「ウヰリアムアダムス」の「ヰ」が時代を感じさせる。 外国語を表すのに「ヰ」や「ヱ」と云うのは妙なモノだが、「ウヰスキー」などと云うのを何度か見たことがある。
かなり読み取りにくく、「ウヰリアムアダムス夫妻墳墓在於塚山絶頂」ではないかと思うが「絶頂」の辺りがよく分からない。
こんな休憩所も有り、この少し下には茶店らしきものも有ったようだ。

生憎の曇りで、見通しは良くなかったが、これが海方向だろう。

時計は2時少し過ぎを指しているが、土曜日だからリハの開始は3時なので、あまり余裕が無く、早々に引き上げた。

お馴染み、京急の赤い車両。 電車はすぐに来たので、リハには余裕で間に合った。

これがホールの建物。
建物の外観や周りの様子は
昨年の記事を参照してほしい。

よこすか芸術劇場・大劇場の客席。 1806席(2000人収容)の大劇場と、574席(600人収容)の小劇場(ヨコスカ・ベイサイド・ポケット)が有る。 実に立派なホールである。

たもっちゃんこと山口さんが「こりゃスカラ座だ」とおっしゃっていた通り、オペラの公演にふさわしい会場とも云えるだろう。

今回は何故かPAの卓が真ん中ではなくて上手よりにセットされていて、いつも並んでいる照明の卓が少し右寄りに有った。

スネアドラムの上にセットされたカスタネットは、さすがにラテンパーカッション奏者のキムチさんならではのスタイルだ。 このカスタネットが、ある曲の中で数回、非常に効果的に使われている。

ロビーをうろついていたら、ピースミュージアムのコーナーで野原さんを発見。

折角だからと記念撮影。 左側のお二人はピースミュージアムのボランティアの方だ。

そこにさだエンターテインメントの原島さんが来られたので、一緒に撮らせてもらった。 野原さんの所属はさだ企画。 今年の4月から会社の組織が変わったので、中々覚えきれない。

楽屋の階段の途中にあった窓から外を撮ってみた。 ダイエーのビルだと思うが、「TUTAYA]の文字も見える。 土曜日なので、なにやらイベントをやっているようだった。
ツアーはこれでちょっと一段落で、来週の九州シリーズから、いよいよ後半戦に突入、と云う感じだろうか。
11月2日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 三十九日目
名古屋公演の2日目。
この日は何故かリハ開始の1時間も前にホテルを出発に成っていた。 わたしはもう一泊するから関係無いのだが、終演後すぐ帰る人たちはチェックアウトの関係で部屋を追い出されてしまうからだ。
そんな事で時間に余裕が有ったので、会場近くの金山駅のほうに行ってみた。 いつもホテルから車で直接会場に入るから、金山駅には来たことが無かったが、ここは名鉄の名古屋本線、JR東海の中央本線と東海道本線、地下鉄の名城線と名港線の合計3社5路線が乗り入れている総合駅なのだ。 たしか市民会館までは地下を通って来れるように成っているはずだ。
会場・中京大学文化市民会館からほんの少し歩くと駅が見えてくる。 この写真ではよく分からないが、真ん中ほどに「金山総合駅 北口」の文字が見える。 あまりぱっとしない感じだが、どうもこちらは裏側に成るようだ。

左側は名鉄の金山駅、右はJRの入り口だ。

上の写真とは反対側の名鉄の中央改札口。

こちらは南口で、やはりこちらが表側のように見える。

実際の線路は地下と云うか掘り割りのようなところを走っているので、のぞき込まないと見えない。

付近の案内図。 なぜか北が下に成っているが、写真下側に中京大学文化市民会館が有る。

屋台のようなものが有ると思ったら、こんなところで年賀はがきの売り出しをやっていた。 看板を持って立っているおじさんは郵便局員なのだろう。

会場に戻ったらちょうどツアートラックが有ったので、パチリ。

いつも元気一杯の入り待ちの皆さん。 これはさださんが楽屋入りされた後だったので、実際はもっと大勢居られたはずだ。

この日はさださんとわたし以外のメンバーは終演後即新幹線に飛び乗って帰る事に成っていた。
そのせいかどうかは分からないが、コンサートはいつもより若干早く終わったようだった。
ホテルに戻ったら、もつ鍋に行くから来る? と云われたので、へいへいとお邪魔してしまった。
もつ鍋と云っても中々洒落た店で、ワインを飲みながらの鍋となった。
左上は「赤モツ」と云われる、ほぼスタンダードなもつ鍋、右上は豆乳ベースの「白モツ」、左下はトマトベースのもの、それぞれに中々美味しかった。 右下は最後にリゾットにしたところ。 リゾットと云っても、どちらかと云えばおじやに近かったが、これも中々いい感じだった。 メンバーは東海ラジオさん3名、さだ企画関係5名とわたし、と云うところだった。

途中、線路内に人が入ったために新幹線が立ち往生、と云うようなニュースが入ってきた。 さださん達が乗った列車も影響を受けたらしいが、ほどなく動いたようだったので、やれやれ。
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11月1日
2011年さだまさしツアー「Sada City」 三十八日目
中京大学文化市民会館には昨年も来ている。 予定ではリハの20分前にホテルを出発、と云う事に成っているので、会場で多少はゆっくりしたいと思い、少し早めに行くことにした。
地図を見るとほぼ一本道で行ける。 気候もちょうど良いので歩いていく事にした。 大津通と云うのをまっすぐに行けば良いわけだ。
途中、矢場町と云う交差点に有ったからくり時計(多分)。 上の鐘が鳴るのではないかと思うのだが、ちょっと正時を外れていたので、見ることは出来なかった。 それよりも高速の真下に有って、上にほとんど空間が無いので、なぜこんなところに作ったのかと思ったが、高速の方が後で出来たのかもしれない。
後で確認したら、このからくり時計は日に4回、12時、15時、18時、20時にしか動かないようだ。 信長、秀吉、家康の人形が出てきて演技(?)するらしい。 くわしくは、
こちら。

矢場町と云うことなので、もしかして、と思ったらやっぱりそうだった。 交差点を過ぎたところにあった、「矢場とん」の本店。 各地に店があるチェーン店の本店にしては小さいと思ったが、ここから発展していったのだろう。 豚の横綱がいい感じだ。

さらに少し先に有った「下茶屋公園」。 東本願寺・別院の庭だったらしい。

それほど広くはないが、街の真ん中にこう云う場所が残っているのはいいことだ。

その庭園にほぼ隣接して、テレビ局が有った。 これが名古屋テレビのキャラクタなのだろう。

ホテルから3キロくらいになるだろうか、中京大学文化市民会館に着いた。

名前だけ聞くと大学の施設のような印象を受けるが、これも例のネーミングライツで、本来は名古屋市民会館である。

1146席のプルニエホールと2296席のオーロラホールが有るが、これがそのオーロラホールの客席。
床が紫色なのは照明のせいだ。

客席ロビーの頭上に有ったレリーフ、人や動物、建物などの形かな、と想像出来るのだが、はっきりとは分からないところが面白い。

正面の入り口から外を見た感じ。 最初に撮った写真はこの通りの反対側からである。

開場時間前だが、外にはグッズのリストやTシャツが展示されていた。

会場前に有ったのは噴水のようだが、残念ながらこの時は水が出ていなかった。

毎回そうだが、名古屋のステージは格別に盛り上がる。 この日も、すっかり御当地ネタに成った「タナカ」ネタ、残念ながら「タナカ」さんがステージに出てくる事は無かったが、会場は大いに沸いていた。
終演後はホテル近くの店で、さださんたちと打ち上げに成った。
この日のサプライズは、宴も終わり近くに成ったころ、ちょうど名古屋に来ていた、さださん御贔屓の野球チームの選手達10人がさださんを表敬訪問に来た事だ。 次の日に試合を控えている事もあったので、乾杯しただけでそれ以上呑むことは無かったが、妙にマスコミずれしたようなところのない、清々しい感じの若者達だった。
選手達とさださんを真ん中にして撮った、いい感じの記念写真が有るのだが、さすがにこれは公開出来ないので残念だ。
↓ これは選手達が帰った後。
さださんの右がタナカさん。 グラスを持っているのが廣田さん、右端は被災地でマイクをささげ持っていた石井さん。 左端に少し写り込んでいるのは田代さん、黒シャツは、おちろん平石さんだ。

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Author:おっちゃん
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